アナキズム柔軟体操

ジェームス・C・スコットによる表現。『実践 日々のアナキズム──世界に抗う土着の秩序の作り方』に登場する。これは、理不尽なルールを、あえて無視し、自分の頭で考える訓練である。

このように書くと、「ようするに、違法行為・脱法行為の推奨ですか・・・これだからアナキストは・・・」という反射的な反論が返ってきそうだ。

しかし、世の中には、「どう考えても不公平で不誠実な制度や法」は存在するし、身近な例では「ブラック校則」も存在する。このような理不尽を、なんらかの民主的な実践によって変えるべきだとして、それが変わるまでは、ただ搾取され続けるしかないのだろうか? 「悪法も法なり」とはいえ、当事者が理不尽に耐えることができるのか、良く分からない。

悪法やひどい制度、国家に直面した時、多くの人々は、政権奪取や、権力者の弾劾・罷免、革命などを期待する。しかし、実際のところ、それらは、長い人類史において有効な方法ではなく、メジャーな方法でもなく、人気のある方法でもない。人類学者のスコットに依れば、もっとも簡単で安全な方法は、その法律をみんなで無視したり、ちょろまかしたりすることだ。そして、国家的な枠組みから逃亡することが、より有効な抵抗や改善の契機となりうる。

アナキズム柔軟体操は、革命的方法ではない。穏やかな抵抗、変化をうながす有効な方法である。ようするに「不登校」は、アナキズム柔軟体操の実践なのかもしれない。不登校の増加によって、学校は改善されているように見える。むいむいの森は、実は、こっそりと、 アナキズム柔軟体操を実践している。(内緒だぞ!)