世俗とは異なる原理が働く場所。 犯罪者、負債者、奴隷などが逃げ込んだ場合に保護を得られる場所。世界各地にわたって聖地や寺院などにその例が見られる。縁切り場。駆け込み寺。聖域。避難所。
日本においては、網野善彦『無縁・公界・楽 : 日本中世の自由と平和』による議論が強い影響を与えている。大雑把なイメージとしては、スタジオジブリ『 もののけ姫 』のタタラ場が一つの類型と言える。この映画の公開時の公式パンフレットにて網野自身が解説を執筆している。タタラ場では、行き場を失った病人や女性、呪われた人間が、世俗の権力から離れ、一定の保護を受けている。
近代以前は、国家が法治を独占(暴力を独占)する宣言が実効性を持たず、複数の法体系があり、また、統治が届かない辺境や聖域が存在した。国家と社会が一致せず、国家の外側に幅広い自由な社会が存在していた。現在、アジールは実在しないが、国家の統治によらない社会(例えば1つの例として市民社会)を希望する人々は多い。
むいむいの森は、実効性はともかく、世俗からすこし距離をおいて、異なる原理を想像するための避難所を目指している。具体的には、メリトクラシー(業績主義、能力主義)やそれを前提とした過度に競争的なシステムから離れることを意図している。「夢や将来の希望を持ちましょう!」「夢のために努力しましょう!」「あなたの成績では将来が開けないよ」という忠告を、解毒する場所を目指している。人類史のスケールで言えば、異なる原理の可能性は、ある。
一方で、アジールは、ユートピア(理想郷、千年王国、 弥勒の世、浄土、居場所など)ではない。超越的な存在が全てを救済したり、理想的な人民だけが居住する場所ではない。原理なく赦される場所というより、単に、日常の大部分を占める原理と異なる原理が働く程度の場所である。他人も居れば、社会もあり、それ相応の辛苦がある。