自立共生(コンヴィヴィアリティ)


イヴァン・イチイリによる概念。『コンヴィヴィアリティのための道具』で語られた。イリイチは、広義の道具を、支配操作の道具と自立共生の道具に区別して考えた。例えば、道路のような道具は、馬車や徒歩の移動を妨げ、実質的に移動する自由を車に隷属させる。それは、人間が産業や資本に支配操作される1つの側面になる。あるいは、原子力発電のような集権的な発電機構は、集権的な官僚制度を正当化する論拠となり、結果として人々が官僚機構に隷属する遠因ともなりえる。

一方、斧や糸車、木工具、初期のパーソナルコンピューターのような道具は、それぞれの人間の能力と管理と自発性の範囲を拡大するかもしれない。このような接続されない、生き生きとした状況を、自立共生(Conviviality)と呼ぶ。

むいむいの森は、その活動を支える道具や制度を選択する際に、自立共生を重要視する。その選択は、ローテクになる傾向があるが、それは必然ではない。ハイテク/ローテク、既製品/手作りの区別が重要なのではなく、支配操作/自立共生の区別が肝要だ。