作為がなく、自然のままであること。ことさらに知や欲をはたらかせず、自然に生きること。
紀元前、古代中国の思想家、老子による概念である。その古さと地理的条件によって、東アジア全域に多大な影響を与えている。日本の神道、仏教、修験道にもその影響が読み取れる。
むいむいの森は、様々な生きづらさ、外発的操作、外発的開発、客体化、パターナリズムなどを相対化して解毒するもっとも基本的な拠り所として、「無為自然」の立場を取る。老子に従えば、「お前は、能力がないからゴミだ」などと作為を要求されても、真に受ける必要はない。
ありのまま、自然に生きる。それだけで十分だ。黙ってろ。
しかし、私にとって「自然に生きる」とは、どういう事だろう? 無って? 実は、それが難しい。そこから修行が始まる。